作業が続くときと、止まるときがあります。
私の場合、それは意志や習慣の問題ではなく、「欲しいもの」がはっきりしているかどうかにかかっています。
完成が待ち遠しいときは、手が止まりません。
でも、できあがってしまうと、熱はあっけなく冷めてしまう。
三日坊主で終わることも、よくあることです。
この文章では、そんな自分を責めずに、熱があるときも切れたあとも、自然に作業に戻れる暮らしについて考えてみたいと思います。
目次
作業が続くのは、欲しいものがはっきりしている時だけ
作業が不思議と続くときがあります。
でも、その理由は、意志の強さでも、習慣でもありません。
続くのは、ただ一つ。
その先にある「欲しいもの」が、心から待ち遠しいときだけです。
例えば、自分が作りたいもの、手に入れたい完成品が、頭の中ではっきり見えているとき。
そのときは、時間を忘れて没頭してしまいます。
途中で手を止めることすら惜しくなる。
作業をするのが、楽しいとか義務とかいう次元ではなく、「どうしてもやりたい」という衝動が動かしている感じです。
逆に、何のゴールもなく、ただスキルを磨くためとか、習慣化のためにやろうと思っても、ほとんど手が動きません。
そのことも、自分ではよく分かっています。
だから、私にとって「続く作業」とは、いつも燃え上がる一瞬の炎のようなものです。
そして、その炎が消えると、次の火がつくまで、しばらくは何もできない。
三日坊主どころか、一日で終わることも珍しくありません。
それでも、私はその繰り返しの中で、少しずつ自分の作業パターンを知るようになりました。
炎のように熱くなる瞬間があるからこそ、その後の静けさも、受け入れられるようになったのです。
完成すると、すべてが終わった気がする
欲しかったものが完成した瞬間、私の中の炎は、あっけなく消えてしまいます。
手を動かしていた熱量はどこへやら、目の前にあるのは、形になった作品だけ。
あんなに待ち望んでいたゴールに辿り着いたのに、その瞬間から、もう次の作業に手を伸ばす気力は湧きません。
三日坊主で終わることも多いですが、これは自分を責める話ではありません。
むしろ、自分でもよく理解していることです。
「やりたい!」という衝動があるから全力でできる。
それが消えると、力も自然と抜ける。
熱しやすく冷めやすい、私のリズム。
だから、完成したあとに空白が生まれるのも当然のこと。
燃え尽き症候群のように、手が止まるのも当然。
ここで無理に続けようとしても、続くはずがない。
むしろ、自然に止まることを受け入れた方が、次の「欲しい」がまた生まれやすくなるのです。
それでも「続けたい」と思ってしまう
完成して熱が冷めると、私はいつも思います。
「これで終わりにしてしまうのは、もったいない」と。
わかっているのです。
自分は淡々と続けられる人ではないことを。
情熱が燃え尽きると、三日坊主どころか、しばらく手が止まることを。
でも、それでも、心のどこかで、続けたい気持ちがくすぶっている。
作ったものの完成や満足感は、確かに幸せをくれます。
でも、次の一歩を踏み出す力は、いつもその余韻のあとにしか生まれません。
積み重ねのスキルや、毎日の習慣で磨かれる手仕事の感覚・・・。
そういうものに憧れを抱く自分も、否定できない。
私に必要なのは、無理に「続ける仕組み」ではないと気づきます。
それよりも、熱が冷めたあとも、また戻ってこられる場所。
作業を始めたいときに、手を伸ばせる場所。
途中のままの道具や、残しておける余白。
三日坊主の自分を責めずに、でも「またやりたい」と思える余地を残しておくこと。
それが、私にとっての「続ける暮らし」の正体です。

私に必要なのは「続ける仕組み」じゃなかった
以前は、作業を続けるためには習慣化や仕組みが必要だと思っていました。
でも、自分にはそれが合わないことが、もう、わかっています。
- 毎日決まった時間に机に向かう、
- 道具をきれいに揃えてから始める、
- 「やらなきゃ」と思って動く、
そういうやり方では、私の手は止まるだけです。
必要だったのは、毎日続ける仕組みではなく、熱が湧いたときに、すぐ手を伸ばせる環境です。
途中のままの作品、散らかったままの机、道具がいつでも手の届く場所にあること。
完成まで焦らず、途中で止めても気にならないこと。
そういう小さな余白があるから、燃え尽きたあとでも、次の「欲しい」を見つけたときに自然と手が動くのです。
私にとって、続けるための仕組みとは、「毎日やること」ではなく、また戻ってこられる余白を残すことでした。

以前も書きましたが、出しっぱなしでいい!のは、私にピッタリ。
整う暮らしは、情熱が切れても私を迎える
私にとって「整う暮らし」とは、完璧に片付いた部屋ではありません。
きれいな机や、毎日決まった手順がある家でもありません。
整うとは、私が燃え尽きたあとでも、また手を伸ばせる余地があること。
途中で止まったままの道具や、使いかけの作品が、そっと置かれていること。
情熱があるときは全力で作業し、なくなれば、力は抜ける。
でも、また次の「欲しい」が生まれたとき、すぐに戻ってこれる場所がある。
それが、私にとっての整う暮らしです。
無理に続ける必要はなく、淡々と毎日やる必要もありません。
ただ、欲しいものが生まれたときに、自然と手が伸びる空間と時間。
それだけで、家は、住まいは、私の背中をそっと支えてくれます。


おわりに。三日坊主でも、また戻ってこられる家
私は、三日坊主で終わることがとっても多い人間です。
でも、それでいいと思っています。
作業が続くのは、熱があるときだけ。
でも、燃え尽きても大丈夫。
またいつか、「これが欲しい」と思える瞬間が訪れるから。
そのとき、すぐ手を伸ばせる家であれば、私はまた自然に作業を始められる。
続けられない自分も、情熱が切れる自分も、まるごと受け入れてくれる場所がある。
それが、私の暮らしの理想です